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 五月病と6月の衝動 その2


 

  かつて大学生の「五月病」が言われたことがある。
 ありていに言えば「うつ」、入学して大学生活に慣れたと思われる「五月」に、無気力怠惰な学生が増えて、大学当局も扱いに苦慮するというのであった。

 しかしその頃、「誰でもよかった殺人」はなかった。
 11才の女の子が「仲良しツーペア」ともいうべきクラスメイトの首をカッターナイフでかき切って殺すなど想像もつかないことだった。
 まして大学キャンパスの中で、大学生(卒業生)による教授殺しなどありえぬことであった。

 五月病が、少しばかり学生の心が病んで憂鬱になるようなことであったとすれば、6月は「殺しの季節」と言わねばならないくらいに、凶暴理不尽な犯罪が起って今日に至っている。
 その間、この国は、ひたすら病める心を育んできたということになるのだろうか。

 生い立ちや家族関係、つまりは親の「子育て」の責任はもちろんある。捜査や裁判のなかで、そのことが具体的に明らかにされて、社会として共有されるようなシステムづくりは是非急がねばならない。

 しかし「普通」の人間が、きわめて「異常」な犯罪へと「踏み越え」てしまうそのことは、生い立ちや家族関係だけではない。この国の社会の状況、ひとびとのあり方の問題として考えなければならないことのように思える。

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