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2009.04.08 身勝手時代

 
 身勝手時代

 学校は三月の卒業式でしめくくられて、四月、入学式でまた新たな1年がはじまる。
 そんなくり返しのなかで仕事をして、中学教師を定年で退職して7年。
 ただ時が過ぎていくのを見ているような日々だけれど、やはり、気になるのは四〇年間仕事をしていた教育現場のあれこれ。

 アキバ男の事件は昨年6月のことだった。まだ1年にもならない。なのにもう何年かたってしまったようにも思える。
 光陰は人を待たず矢のごとしといわれるし、年をかさねるのに合わせるように時の過ぎていくのが早く感じられる。
 にしてもアキバ男が引き起したような事件が、時が過ぎるのと同じにあつかわれて忘却のかなたに消し去っていいはずない。時々、立ち止まって振り返り、確かめてみなければならない事件というものはあって、その意味で秋葉原通り魔殺人事件は歴史的である。

 昨年、そんなアキバ男の事件に触発されて半年ほど表題の「いじめの加害者たち」について書いた。
 80年代から今日に至る教育現場のいじめは、従来の不良と呼ばれたワルたちによってなされた校内暴力的非行にかわる「いい親」の「いい子」たちによる新しいタイプの非行であった。その延長にアキバ男の事件があったと見ていいのではないか。

 父は大学教授、母が日本で最初の女性検事の家庭で兄が弟を惨殺する事件が起ったのは東京オリンピック(1964年)の年だった。母親は知らないが、身近に見た大学教授の父親は温厚な英国風ジェントルマン(当時、尊敬に値する意でそんな表現が使われていたように思う)であった。
 しかしそんな両親のもとで、兄は弟殺害の牙を研いでいたのである。

 その頃からだろう、わが子を「いい大学」から「いい会社」へと考える「いい子」の「いい親」たちが一部エリートだけのことでなく、一億総中流意識にのせられて一般化して今日に至っているのは。この20年間で私大の数は360校から570校に増えたのも「いい親」と、そして「いい子」たちの進学塾に後押しされてのことであったろう。

 ひと口に「いい子」の「いい親」といっても多様である。大学教授と女性検事の両親、アキバ男の両親、わが子を虐待し死に至らしめる男や女はそれぞれに違う。しかしそれぞれに「身勝手」であるということではとてもよく似ている。
 生活リズムに格差はあっても、身勝手で武装した人間の意識としては違いがなくて、行き着いたところで誰でもよかった殺人が起り、福祉がたかりや詐欺の舞台にされている。
 そして何事も「社会がわるい」式の言説が、そんな風潮を支え拡大してきたといえないだろうか。
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