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ドン・キホーテになれ




 風、というより嵐のすさまじさに息をのむ。膨大な数の民意がつくり上げた、鮮やかな政権交代である。
 こんなはずではなかった。後々、そんな思いを決して抱かせないでほしい。
――――というのは日本経済新聞のコラム氏が「春秋」(2009年8月31日)に書いたことである。

 一方で、「政権交代というキーワードで完全に〝一色主義〟に染まった。そこまで極端に振れる日本人に、言葉は悪いが、私は気持ち悪さを感じた」(田原総一郎)とか、「ワンフレーズ」で「自民と民主が入れ替わっただけ」(雨宮処凛)とか、「政治がコンテンツ抜きのパフォーマンスだけで評価されてしまう国ということでもある。この選挙、思い返せば返すほどその中味のなさに唖然としてしまう」(立花隆)などはいずれも、そうもいえるということで実際、同じような感想をもったひとも少なくなかったろうと思う。

 けれど、そう「見て」、そう「言う」ことは、選挙に生活者としての夢をたくすしかなかったひとたちの気持ちをさかなですることで、生活者を「衆愚」として切り棄てることができるひとの「高み」からの物言いといえば、ひがみが過ぎるだろうか。

 少し前に「年越し派遣村」のことがたれ流された。たれ流すくらいに報道してもらわないと困るのではあるけれど、そんなときにいつも思うことがある。
 報道する側、つまりメディアの仕事にかかわるひとたちの多くは、生活者とは縁遠いくらいに高収入のひとであるということだ。生活費の心配などしなくていいひとたちが、たとえば年越し派遣村をわがことのように取材して報道してくれることに、ぼくはいつも違和感を感じているということなのである。
 だから報道してくれなくていいというのではないけれど、もし、「一色主義」の「ワンフレーズ」で踊り、「コンテンツ抜きのパフォーマンス」で投票所に向ったとしたら、そうさせたのはメディア、とくにテレビの力であり、生活者には田原さんや雨宮さん、知の巨人なんて言われた立花さんのようにメディアを動かす力などははじめから持ってはいないのである。

 後々、「こんなはずではなかった」とは思いたくないから、ひとつだけ例をあげておきたい。
 脱官僚、天下りをなくすというのがある。3党合意が成って鳩山新政権が少しずつその「表情」を見せはじめるなか、お手並み拝見、さて、何ができるでしょう、というニュアンスの冷ややかさがすでにマスコミ報道や「専門家」のコメントのなかにないわけではない。

 しかしこの天下り、二、三年で外の天下り先に移っていくたびに大枚な退職金を手にしているという実態を、「婦人公論」が取り上げたのが昭和40年代初め、実に40年以上前のことである。
 中学の社会科教師になったばかりで、はりきって教材に使ったからはっきりおぼえているが、以後、こんな理不尽な税金のムダづかいにメスを入れようとした政治家・政党は「革新」を声高く叫ぶ、その「叫び」のなかにさえなかった。
 いま、新与党が、そこに手を突き入れようとしているのである。支持したい。

 政権交代選挙の最中、夢とビジョンを併せ持つ現代の「ドン・キホーテは誰?」かと呼びかけた浜矩子先生は、民主308VS自民119議席という結果を眼にして今度は、鳩山代表よ「ドン・キホーテになれ」(2009年9月1日付北海道新聞「政権交代シリーズ評論」)と呼びかける。

 ドン・キホーテは「若くて筋力のあるスーパーマンではない。老人だから従者の介護が必要で他人への依存度が高く、腕力が弱い。
 だが彼の夢は大きく、若いビジョンに満ちている。誰も言わない正論を言う。一見情けないが、情けなさの中に力がある。鳩山代表が掲げる『友愛』は、今の世の中に必要とされている『1人は皆のため、皆は1人のため』という理念に重なる。ドン・キホーテは保護主義的な『自分さえ良ければいい病』から遠くにいるのだ。(略)米国に『日本はでかい口を利くけど、その通りだ』と言わせる。(略)腕力がないなら、『舌力(ぜつりょく)』で勝負する日本のイメージを追求してはどうか。」
 というのが浜矩子先生の、鳩山新政権への期待である。

 文芸評論家中村光夫によれば、セルバンテスの「ドン・キホーテ」は、「たんに近代小説の先祖というだけでなく、ある意味では近代小説全体がそこからでられないほど高い完成に達して居ます。」とするのであるから、難解な古典とも思わせるがそうではない。
 ぼくが好きなのは、「美人の噂をはるかに越えるほど美しい女の羊飼いマルセーラ」が登場する場面である。
 批難するおとこどもを前に、「わたしは生まれつき自由な女です。だから他人のいうなりになることはきらいです。誰も愛しもしないかわりにきらってもいないのです。
 (略)自分の山羊の世話がわたしの喜びです。
 (略)わたしの心に浮かぶ願いはこのあたりの山地だけにとどまっています。」
 と木立のなかに去って行くマルセーラのかわいらしくて美しい自我は、現代の女性解放論者のどんな言説よりも、現代人の心をうつ。「近代小説全体がそこからでられないほど高い完成」の小さな物語がたくさん詰め込まれている大きな物語こそセルバンテスの「ドン・キホーテ」なのである。
 鳩山由紀夫新首相よ、ドン・キホーテになれ!
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