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人ぐすり翔太の夢




 職員室は教師の仕事の場ではあるけれど、くつろぎの生活空間でもあって、職員室を出て授業のために教室に向い、授業を終えて教室からまた戻ってくるところで、授業がない空き時間教師なら40分か45分、あるいは50分のあいだ思い思いに過す。
 授業のあいだの「10分休み」、出入りする教師に児童生徒が加わって一時、おだやかな喧噪のときがあって、昼休みや放課後にはまた少し違った雰囲気になる。

 そんな職員室を久しぶりに訪れたのは、退職のときの中学校が教育実習するのを見せてもらうためだった。
 道内の私大から3週間を与えられて母校に戻り、教員免許を取るための実習をする。夏休みをはさんだ前後の季節、全国どこの小中高校にも見られる光景で、リクルートスーツ的初々しさではにかむ教師の卵がもっとも緊張する場面ということになるだろう。

 学年4学級の12学級、教職員が40人ほどの中学校の職員室はそれなりの大きさがあって、外からのひとの眼にはどう映るかわからないけれど、丁度10年間勤務した元職場のことであるから、教師のほとんどが入れ替わっていてもそれぞれの先生が何を思ってどう過しているかは、家の中の家族の動きを見るようによくわかる。

 ああ、懐かしい、と思っているところに翔太があらわれた。教室から戻ってほっとした様子で、職員室の中ほどに与えられた机に向い、手にした教材教具を置きながら周りの先生と言葉をかわし、うなずき合ってあたりに目配りしたときに眼が合った。
 そのとき、ああ、これでもう帰ってもいい、授業を見せてもらうまでもないじゃないかと思った。二日間で六、七時間の授業を参観したが、そんな思いは変わらなかった。


        400 300


 中学生といっても三年生と一年生とでは表情、しぐさが大人と子どもほどにも違って、そのゆえに教師・授業への反応がまたまるで違ったことになる。それで全学年の教室をのぞかせてもらったが、授業者翔太の様子は同じで、子どもたちが受け入れて、翔太先生の指示によく従っていることがわかった。
 もう何年も出入りしなれた職員室にいるようにして過し、先輩教師が同僚であるように接して生意気にならない。動ずることなく子どもの気持ちに合わせて「教授」すべき事柄を示していく。その自然なたたずまいがよかった。

 とちることや、何かちぐはぐなものを感じさせて当たり前、教育実習のなかで子どもとなめらかに呼吸を合わせることができるというのは希有(けう)なことである。非常勤を入れると40年間、毎年数名の実習生を受け入れて直接間接にかかわってきたけれど、初めて眼にする光景だった。
 「オマエ、スコシ、ナマイキダヨ」
 外に言いようがなくて、少しくらい困った振りをするのも大事なことなのにとからかったが、嬉しかった。

 精神科医斉藤環は、誰でもよかった殺人が横行する時代背景を「孤独地獄」であるとして、「人ぐすり」(2009年4月19日付「毎日新聞」)が必要な時代であるという。
 孤独の地位が貧困や虐待なみで、いまや「貧困」や「戦争」、「病気」や「不運」さえも地獄でなくて「孤独」こそが地獄、孤独をいやす「人ぐすり」の調合が必要だというのである。
 戦争そのものは知らないけれど、敗戦後の「貧乏・いじめ」地獄にのたうつしかなかった身からすると、斉藤環先生の言は甘菓子のような歯ざわりではあるけれど、「人ぐすり」としての「親」や「教師」、家庭や学校が本来の機能を果たせなくなっている現状は認めざるをえないだろう。

 翔太がいつ頃教師になりたいと思ったのかは知らないけれど、教師が天職であるような奴もいるものなんだと思わせて中学を卒業して7年目、実習生翔太はすでに「教師」としてそこにいた。
 中学校生活のしめくくりに翔太が選んだのは、生徒会会長ではなくて書記長だった。表舞台は会長に任せて、裏方に徹して万端を取りしきっていたけれど、例年にならってとか、型通りというのがひとつもない。かならず何かが加わって、その度に担当教師や担任と「お前、本気かよ?」とか「そんなこと、できるか?」というやり取りになる。周りの教師がまた思わず口出しをしたくなって、一時、職員室の一角がにぎやかになる。

 翔太の発想、一言には周りを巻き込んでひとの気持ちを結んでいくあたたかさのようなものがあるのかも知れない。
 そんな翔太は「孤独地獄」をいやす「人ぐすり」として「調合」されるべき存在で、何より教師がふさわしいと思うのである。


 


かまい合うこと おせっかいをやき合うこと  その5




 「ガイドの判断ミスがすべての原因のように言われるが、いろいろな条件が重なり、みんな少しずつミスがあった。『これがダメだったから』とは言い切れない」(2009年9月号「財界さっぽろ」)

 と話しているのは前田和子(64歳、広島市)さん、道に迷ったときの目印にと「前トム平」の標柱をデジカメに撮り、歩けなくなって座り込む38歳のガイドを励まし、最初に警察への救援要請の「110番」通報をして、自力で無事に下山したひとである。
 当事者のひとりでありながら、事態を冷静にしかも総合的に理解しようとする見解で、いかにもマニュアル的な「専門家」のコメントよりはるかに信頼できるものと思う。
 しかし「すべて」ではないとか、「いろいろ」とか、「少しずつ」というのは抽象的で、再発防止のためにそのまま役立つものとは言えない。

 物事には「そこ」で、「その時」を外したら取り返しがつかないという場面があるもので、自分(たち)は「その時・そこ」で何をしたか、しなかったのかということの検証こそが必要で、命にかかわることであればなおのことそのことを避けて通ることができない。

 遭難からほぼひと月をへて出された「財界さっぽろ」には、「判断ミス」をしたガイドたちへの少し打ち解けた感想・批判が紹介されている。
 まずは38歳のガイドについて、下山後に「悪天候の中の出発は『見切り発車』で無謀だった」(7月20日付「毎日新聞」)と語っていた戸田新介(65歳、愛知県清須氏)さんがこう話す。

 「北海道へ来るとき同じ飛行機に乗り合わせたが、『会社から夏休みの代わりにリフレッシュしてこいと言われた』と話していた。仕事というより、手伝いという感じだったのではないか」

 前田和子さんはこうである。
 「警察との電話でM(38歳のガイド)さんは『私はポーター(荷物運び)です』と言っていた。ポーターなら責任度がぐっと低くなるから、そう言ったのだと思います」

 前田和子さんは前トム平を過ぎた16日午後3時54分ごろ、ケイタイが通じるとわかって、ガイドに「110番してくれ」と依頼されて通報した。その時、現在地を聞かれても答えられず、ガイドに代わった。しかしガイドは疲労でろれつが回らないほどであったという。ガイドが自分は「ガイド」ではなくて「ポーター」であると名乗ったのはその時のことである。

 飛行機の中で物見遊山のように語っていた男が身動きがとれなくなって、救助要請さえツアー客に依頼しなければならなかった状況のなかでなお、ガイドではなくてポーターに過ぎないと身分を偽る姑息(こそく)さは救いようがないけれど、しかし、そういう無力なガイドたちの前にいたのは60代の男女15人である。
 たとえば前田さんがこの38歳ガイドに「あなたも子供がいるんでしょう。頑張りなさい」と励ます場面、それは母親がダメ息子をはがゆく思って叱咤激励している図そのものであるが、そうであればあるほど60代の男女15人にできることはなかったのか、ということも同時に浮び上がってくる疑問というよりは悔しさといえばいいだろうか。

 救援要請が遅れたのは、3人のガイドの「微妙な関係」ではなかったかとして、こんな「指摘」がされている。38歳のガイドについて語ったのは戸田さんと前田さん、しかしここで32歳のガイドについて語ったひとは特定されていなくて、「指摘もある」とされているだけであるが、

 「3人のうち2人は今回のコースが初めてで、ほとんどのことをメインガイドのT(32歳、札幌市)さんが決めていた。Tさんは北大山岳部出身で草花には詳しかったが、おとなしい性格で、1人で背負い込んでしまうタイプ。あとの2人が年上なので指示するにも遠慮がちで、きちんと機能していなかった」

 先(その3)にガイドの「年令とか性質がどうであったか」と書いたのはこのようなことであるけれど、今回のコースを知っていたというだけで、最年少で、メインガイドにされた男性が「おとなしく」て「草花が好き」な登山家といえば、生き馬の目を抜くような「下界」でさっそうと生きているひととも思えない。下界では生活できなかった冒険家植村直己さんを思い出してしまうが、緊急危難に際して決断して、てきぱき指示を出すようなことが一番苦手なタイプ、しかし愛すべき好青年であったろうとは思う。

 教育現場でなぜ「いじめ」をやめさせて、「いじめ自殺」が防げないかを考えるとき、教師の問題として、優しくて真面目で誠実であるけれど、しかし弱くて、学級・子どもをコントロールできなくて事件・事故を引き起してしまうのは、このTさんのようなタイプの教師であることが多い。
 そのような教師であるのだから「援助」して事なきようにするという学校としてのシステムが必要であるのに、それがない。
 システムがあったとして、マニュアルだけでどうかなるようなことではなくて、教師同士が互いにかまい合う、おせっかいをやき合うくらいに、職員室のなかが打ち解けていなければならないのに、今、世間話さえしない・できない・おっくうがる教師ばかりが増えているように思うけれど、どうであろうか。

 ともあれ、そのように無力であったガイドたちの「見切り発車」の指示に、8人を凍死させてしまうような降雨強風のなか、ヒサゴ沼遭難小屋を出発してしまう。
 その時、その「無謀」を言って立ちふさがろうとするのは格好いいことでない。「騒ぐ」よりは、黙って「見過す」ことの方がスマートで見た目にも美しい。品よくも見えるし、そう思って生活しているひとが多いのが世間というものである。
 しかし生きるというのは美しくて格好いいことばかりではないと、「騒ぐ」ことが多かったとぼくは思う。

かまい合うこと おせっかいをやき合うこと  その4

 


 

 

   常識としてわかる(はずだ)。
 という言い方があるのは、常識ほど大切なものはなくて、世の大抵のことはその常識で間に合っているし、そういうものとして生活していて困ることが何もないからである。
 いわゆる「専門家」が言うことの大半もその常識で、事件のたびにテレビに登場する「専門家」のコメントが常識以下であるのもさして珍しいことでない。
 そのようなテレビ文化に慣らされて、流されて、自分で考えることや、常識で行動することがなくなっているのだろうかと思われることも少なくない。

 いかにも自由が謳歌されているような風潮のなかに不自由が広がって、知らぬ間に個人が散(ばら)されて孤立し、ひとの絆(きずな)が絶たれているのかも知れなくて、人間関係の希薄さというのをはるかに超えて、こんなにもひとが孤立して生きる時代はなかったのかも知れないとさえ思われてくる。
 たとえば振り込め詐欺というのがあって、おなじ手口で騙される事件がどれだけ報道されても詐欺そのものはなくならない。そういう社会が好ましいとおっしゃるのは養老孟子さんである。そんなにも孫(家族)を思うお年寄りが多い社会はなかなかにいい、と。
 ぼくは少し違って、家族が散(ばら)けて孤独なお年寄りが多いから、家族への絆(きずな)を求めて手もなくおなじような騙(だまし)にあうのではないかと、つい意地悪なことを思ってしまう。

 作家の藤沢周平は「普通がいちばん」が口ぐせであったというが、詐欺にあうのはその「普通」のひとたちである。
 普通を「いちばん」として生きるひとたちが痛い目にあうことなく生きるためには、普通のひと同士が知恵を出し合って、互いをかばい合うことが是非にも必要で、かまい合うこと、おせっかいをやき合うことこそが大事なのではないかと言いたいのである。

 遭難の経緯には、プロのガイドの「専門的」判断を待つまでもなく、この「常識」による判断で十分に事足りるくらいに「異常」な状況であったのに、なぜに「みんなで渡れば怖くない」のようなことになってしまったのか。
 会社、ガイドの責任ははっきりしていると見ていいだろう。しかし「異常」な状況の前で、「常識」が安全弁としてはたらかなかったのはなぜかを考えるとき、今日の日本に生きるわれわれの内に眠る意識、ものの考え方というものが広く深く横たわっていて阻害しているのではないかと思えてならない。
 たとえば「自分の分を守る」を裏返せば「自分だけを守る」に、「他人に迷惑をかけない」を裏返せば「自分だけは迷惑から逃れたい」という心の風景があっていろいろなことが起っている、と。
 いわゆる40日選挙の公示日が近づいているけれど、「小泉・武部政治」とはそういう「心の風景」を政治として収斂(しゅうれん)させるものだったのではないか。

かまい合うこと おせっかいをやき合うこと  その3



 避難の「近因」は言うまでもなく会社の企画の無理、ガイドの無力であったと思われる。わけても現場にあって生死を分ける場面で、3人のガイドの判断に大きな誤りがあったことは疑いようがない。
 しかしこの判断ミスがガイドの「専門職」としての力量不足によるものか、人物としての意思力の弱さのゆえであったかは不明で、もし後者であったとすればそのことは15人のツアー客にそのまま当てはまる。
 60代のツアー客15人を先導したガイドの2人までが30代、リーダー格の60代のガイドが声を大にして指揮命令できる人物であったのかどうか、「意思力」の有無とはそのようなガイドの年令とか性質がどうであったのかということである。

 ガイドが縦走中断を判断できなかったか、続行を危惧しつつそのことをツアー客に納得させる自信がなかったかは、分かちがたく結び合わさった精神の作用であるけれど、ガイドの中断を納得させようとする意思がまた、ツアー客15人の意思と分かちがたく向き合っていて、そのような「関係」を無視して責任の所在を問うことは、可能ではあるけれど、同じような事故の再発防止のための手だてとしてはあまり役に立たない。

 60代の男女15人がそこにいて、唯唯諾諾ガイドの指示に従うだけであったとすれば、その「無力」ぶりは遭難の「遠因」として考慮されるべき事柄であるかも知れない。
 ガイドがツアー客説得に自信が持てなかった要素が仮にあったとすれば、そんなガイドの「意思力」に向き合って、ただ「従うだけ」のツアー客の意思がまたガイドの誤った判断を後押しする要素としてはたらいたかも知れなくて、再発防止のためにはそこまで考えておくことも必要なのではないか。

 仮にガイドの判断ミスがプロとしての力量不足のゆえであったとしても、自分(たち)がどうやって生き残るかは、ツアー客個々の判断の問題でもあり、ガイドの判断と表裏のものとして受け止めるのでなければ、命まで他人にあずける無責任と同じことになってしまう。
 「雨と風が体にあたり歩けないほど」のなか、「岩にしがみつきながら進むような状況」のなか、ガイドが出発の指示を出したとして、異を立てる意思は15人それぞれのもので、口が封じられていたわけでない。
かまい合うこと おせっかいをやき合うこと  その2



 登山ツアーだからお金を支払ったお客は縦走を楽しみ、是非にも山頂をきわめてわが家にもどりたかったと思う。
 企画した会社はお客をあつめてガイドにあずければ、ひとまず役目を終えて、次の企画を考えるのだろう。
 ガイドはツアーを成功させて「なんぼ」の立場、多少の無理はしても企画された内容を達成して、お客の期待に応えたいと考えて当たり前、歯車がそのようにかみ合ってこの世は成り立っている。

 三者三様であるけれどどちらにも「悪意」はなくて、利害ある関係であるにしても「善意」が前提、事が無事に成就すれば何の問題もない。
 そうであるのにほんのちょっとしたことが歯車を狂わせてしまえば、三者三様の関係はガラガラと崩壊して、8人はあっさり「見捨てられて」凍死したというしかないくらいに、ひとの「無力」さだけが残った。そして過去五十年で最悪の山岳遭難といわれた。

 防寒装備のチェックをしたとか、なされていなかったと報じられたのも、会社・ガイドの責任の有無にかかわる事柄であるからだろう。
 けれど装備の点検なら可能であっても、ツアー客個々の体力、体調、実力はチェックのしようもない。それは夫婦のあいだであってもわかりかねること、結局、ツアー客個々の判断に待つしかなくて、他人さまに迷惑をかけないために、自分の分として判断しなければならないことである。

 そうであるにしても今度のツアーでは、ガイドが先に倒れているのだからお話にならない。つまりそんなにも企画した会社の無理やガイドの判断力・実力のなさ、そのゆえの責任は明明白白である。その責任は追及されるべきだし、会社も逃げようがないことくらいはわかっていよう。
 しかし責任は問い、結果の責任が取られたとして、それで出来(しゅったい)した結果が変わるわけでない。失われた8人の方々の、大切な人生は失われたままなのである
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